久々にお堅く(?)&ちょっとBitterな記事をUPさせたいただきますネ^^
今日はピーター・F・ドラッカー氏の本を再読しました。
この頃、氏の本を何冊か手元に置き、交互あるいは同時に
読んだりしています。(重複している部分もあるので)
氏の本を読みながらいつも思うのですが、
私のような者にでも、よーく解るように書いてあるんですよね。
容易いように思えますが、案外難しいのではないでしょうか。
タイトルにある-知識ある者の倫理-は、1969年に出版された
『The Age of Discontinuity(断絶の時代)』の-問われる知識-から
"はじめて読むドラッカー【社会編】(2000年)"のために抜粋されたものに、
加筆したもののようです。
これが38年も前に書かれた内容かと疑うほど、今の社会環境にフィットしている。
過去を振り返り、今を見つめ、照らし合わせてみると、驚くことばかりです。
この『断絶の時代』はまだ読んでいないのですが、本の中でドラッカー氏は、
「若者の中でも最も有能な者、最も知的な資質に恵まれた者、最も聡明な者こそ、
知識に裏づけられた技能を使うテクノロジストとしての能力を持って欲しい」
と言っているようです。身近にもこのような人たちがきっといる(潜んでる?)はずですから、
是非伝えてあげましょう♪ 手段は選びません!(笑)
実はこの本を読み終えたときに、今日(11月11日)が氏の命日と知りました。
まさか世界の片隅にある、こんな小さなブログで取り上げられているとは、
天国のドラッカー氏もさぞビックリしていることでしょうネ^^
ドラッカー氏に興味を持たれた方にはこんなサイトも
◇3分間ドラッカー (ダイアモンド社 online)
http://diamond.jp/series/drucker_3m/bn.html?page=1
このようなこともあり、記事をUPしてみました。
それでは、
はじめて読むドラッカー【社会編】
-イノベーターの条件 社会の絆をいかに創造するか-
という本の中で、ちょっと気になった部分を自分のために置かせていただきますネ^^
(外出先からでも読めるものですから...)
□ 問われる知識 知識ある者の倫理
知識に関わる者は高度の倫理を求められる。これもまた、知識ある者たちにとっては
意外なことである。彼らは、自らの客観性と科学性に誇りをもってきた。善たるべき者
の鑑と自負してきた。
しかし、知識に力が伴っていなかった時代においては完全なものだった私人としての
善意も、力をもつ集団の一員としての倫理性とは関わりがない。むしろ、当を得たも
のではない。今日、知識ある者が置かれている位置は、マネジメントに関わる倫理を
経営者個人の問題としてとらえていた十九世紀の経営者のそれと同じである。
力をもつ集団にとっては、いかに純粋な信条、いかに正しい動機といえども、
はなはだ不道徳となりうる。
(中略
)
Grab this!
1976年、ニューヨークの何人かの医師が、末期ガンの患者の同意なしにある注射をし、
州法に違反しただけでなく、医師としての倫理を逸脱したときも、彼ら医師は訴追された
ことに驚いた。
彼らは、いかなる個人的利益を得ていないと弁じた。無用の苦しみをなくすうえで必要な
知識を得ようとしただけだった。彼らを批判することさえ、犯罪的ともいうべき間違いだと
した。批判は医学上の観点からのみなされるべきであって、それができるのは医学界の
ものだけであるとした。
確かに知識に関わる倫理は、専門分野の同僚によって判断され、律せられなけらばなら
ない。あらゆる職業において倫理は自己規律によって律するべきである。しかし、
本人たちが問題に取り組まず、あるいはいまだよく目にするように問題の存在さえ認め
ないならば、ほかならぬ社会が、ニューヨークの医師を罰したように問題に取りくむこと
になる。
なぜならば、力には倫理がつきまとうからである。動機が何であれ、詐欺は詐欺である。
しかも、政府や財団に対する研究助成申請における嘘や隠しだては、キャメロット計画が
初めてではない。多額の金が漂っているところでは、策士に対し身を固めておかなければ
ならない。
もし知識に関わる者たち自身がこれを行わないならば、社会がこれを行う。個人的な利益
を得ていないからといって、倫理は免責とならない。
- THE ESSENTIAL DRUCKER ON SOCIETY - より
BY PETER F.DRUCKER EDITED BY ATUO UEDA
詳細はAmazoneへ
◆サイト内関連記事
・
果たすべき貢献
・
高度技能者が日本を救う鍵
・
医の目(全4編)
ここでは、あの福島大野病院の事件のことについても少し触れています。
◇ 新聞の片隅にあった倫理に関する記事を思い出したので、ピックアップしてみました。
2007年2月26日・日経新聞 やさしい経済学-名著と現代
マックス・ウェーバー 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
5・儒教との比較
東京大学教授 岡崎哲二氏著
●人々に求めたこと
・儒教・・・
あらゆる面で完成された完全な現世人(世俗人)としての品位を維持すること
(伝統的な儀礼、儀式上の作法、義務を間違いなく実行する人物を意味する)
・ピューリタニズム・・・
ひたすら神の意志に適うように生活態度を組織的に統一すること
・共通・・・たえずある方向に向けて自覚的に自己を統御すること
今日の日本での"品格・品性"の流行は、儒教回帰ということにもなるのでしょうか。
どうやら日本は今、西洋とアジアの倫理観の狭間で悩み苦しんでいるようにも
思えてきたから大変です...また、以前からあった問題に取り組まず、サボタージュ
(知りながら害をなす)してしまうのは、いかがなものかとも思ったりしていますが...
去年、このブログで採り上げた 榊原仟先生の「医の心」を読まれた
ある医療従事者の方からこんなコメントをいただいたことがありました。
「30年以上も前に現在我々が直面している問題を
するどく指摘されており、驚きました。」
また、「癌はこう語る」の吉田富三先生もそうでしたが、
いつの時代にも社会を鋭く洞察し"明日"を読んでいる方がいるものなのですね。
だからなのか、未来が明るくも思えてきます。一緒に頑張らなくっちゃ♪(←またまたお気楽^^;)
そんな著者達と時代を超え偶然にもお会いできた喜びを、いっぱい感じた1年でした^^
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