カテゴリ:◇ 医の心(全8)( 9 )

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              お陰様で1周年を迎えることができました♪ 
                     2007年11月10日 


              ☆゚・*:.。. ご あ い さ つ .。.:*・゚☆

         数多くのブログがあるにもかかわらず、こんな小さな空間を
         見つけていただき、ほんとうにありがとうございますm(_ _)m

          ただいま世界の片隅で、こっそり営業しております^^

         来てくださったお一人一人が、ココで素敵な出会いをされ、
         交流を深めていただける場になればと思っておりますので、
         遠慮なくご自分のBlogアドレスをリンクされてくださいね♪
                2006年11月10日  店主  Madame OCOより

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                    - 店内のご案内 -

                   ◇全体

                   * 医療に従事されてない一般の方(←私も^^)にも
                     是非読んでいただきたいと思います♪
                   ◇ 医の心 全8
                   ◇ 医の目 全4
                   ◇ ちょっと医療のこと
                   ◇ ちょっぴり癌のこと
                   ◇ ちょっと医龍のこと

                   ◇音楽/映画/他
                   ◇ アート
                   ◇ 旅/海外
                   ◇
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                   ☆ ゲストブック


     ~ 過去のMy Messageより ~
      この頃考えていること、
      いろいろなところでこの頃医療について勉強させていただいているのですが、
      やはり一般の人には入り込めない空気が流れているような気がしています。
      それではどうしたらいいの? とちょっと考えてみたのです。
      病院の近所(または院内)にあるcaféを想定してみました。お医者さんたちも、
      一般の人も利用できるお店。お店の人を介してお知り合いになったり、ちょっと
      したことでお近づきになったり。そんなことから、距離が縮まりいろいろなお話が
      出来たり、お互い勉強になるお話ができたら...と、ひとりいろいろと考えてい
           るところです^^♪ この続きはこのあと夢の中で^^  
           では今日もお先に失礼します♪  おやすみなさいませ^^
 
                            25 November 2006 00:30

*注:このページは毎回移動していますので、更新日と作成日が違っています
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by madame_oco | 2008-01-01 23:30 | ◇ 医の心(全8)

心臓移植の条件・・・その2-「医の心」より
 *今ではもう市販されていないようなので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

           「医の心」 心臓移植の条件・・・その2
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               「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P148~P152
 「心臓移植の可否を論ずるには根本的に倫理感というものが問題となる。倫理というものは理屈で決められるものではなく、その時代、その社会の人々の大多数が正しいと感ずるものを、よしとせざるをえない。心臓移植についても、その立場から可否を考えてみた。ところが手術結果がよい間はほとんどの人が可とし、結果が悪くなるとともに僅々18日の間に否とする感が和えが圧倒的に多くなり、これには驚いた。このような根本的な問題についての大多数の人の判断が、かくも簡単に変化することに驚きとともに不安を感じたのである。おそらくはマスコミ時代には、人の善悪に対する判断が非常に容易に変わりうることを発見したのは尊い経験であった。

 しかし、たとい多くの人が心臓移植を可としても、少なくとも次の諸問題が満たされなければ心臓移植はしてはならぬと思う。
 
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  (1) 心臓提供者側に問題の場合。すなわち確実に死亡していて、しかもその心臓が移植によって拍動を回復できる場合。これはほとんど現在の状況では望めないことだろう。

  (2)心臓移植に失敗した場合、ただちに使い得る程度にまで人工心肺が発達していること。
でないかぎり患者から心臓をとり出すことは許されない。これに対して、現在30パーセント、40パーセントの手術危機率のある手術も行われているのに、移植だけがいけないという理由がないと反論はあると思う。しかし、現在行われている手術は、手術自体は100パーセント安全なことが動物実験で確認されており、ただ罹患者の疾病の重症程度や合併症の状態によって、手術にたえ得ないのである。しかし心臓移植そのものが、このように安全になっているとはいえないから、失敗した時の安全弁として人工心臓が必要なのだ。

 (3)拒絶反応の抑制法が確立すること。
これらの条件は現在の時点で、みたされるようになったと考えるとができないし、しかも心臓移植が必ずしも人類を幸福にするとは考えられないので、反対である」

 さらに、同年8月、わが国で和田寿郎教授が心臓移植を行った。これを機会にあらゆる報道機関はこの手術に賛成し、殆どすべての人々がこれに和した。心臓移植を希望する患者や心臓を提供しようと申し出る人が相次いだのである。

 科学はそれ自身で進歩する。だから、どこまで進むかどのような方向に発展するか誰にもわからない。この科学の進歩をいかに人生に応用するかは、その時代に生きる人類が自由に選択してよいことなのだ。ただし、それを応用することが人類にとって、幸せであるという道を選ぶことが次の時代の人類に対する責任とでもいうべきことなのだ。医学の進歩は心臓移植を可能にした。今や、わが国の殆どすべての人が心臓移植を是とするようになった。だとすれば、手術はあくまで不可とするわけにはいかないが、それにしても、まず厳重に制限された例に限って手術が行われるべきである。その結果が明らかになってはじめて次のステップを踏まなければならない。そこで、私は次のような条件の場合に限って手術が行われてもよいという標準を出した。

 心臓移植患者は、たとえば冠動脈の三つの枝が完全に閉塞した心筋梗塞患者のように、放置すれば数時間ないし数日で死亡するような患者に限る。腎臓提供者は交通外傷で頭がすっとんでしまったが、心臓は拍動しているというような素人のだれがみても生き返るとは思えないものに限る。このような例なら私も心臓移植を行う。ただし、このような例が同時にみつかるということはめったにないから、私の一生には手術する機会は殆どないだろう。しかし、ないとはいえないから、いつでも手術ができるように用意万端を整え置く。こうしたまれな場合に限ると、一人の外科医が多数を経験するようなことはないだろうが、世界中で集めればかなりの数に達して、心臓移植が治療として価値あるものかどうかがわかり、問題が判明する。その結果さらに進歩して、次にはもっとゆるい条件のもとで手術できるようになろう。

 この私の考え方は、現在も変わっていない。私が「消極的賛成論者」「多少余裕を残した不賛成論者」と呼ばれたのは、以上の条件が厳格過ぎたからだった。当時、積極賛成論者が多かった医学分野でかなり責められたものだった。

 ところが、その和田教授の例が八十日をへて死亡すると、今度はまたまた世論が変わったのだから驚く。英雄扱いしていた同じ新聞がそれを忘れたかのように、手術者の和田教授を攻撃した。それと共に私は同じ意見を述べているにもかかわらず「賛成論者」であり、けしからんといわれることになった。当時依頼されていた鑑定書の問題事項も返答の内容も知らないで、それが悪いという異論をはく人さえ出てきたのである。それとは別に、私は心臓移植に対し現在も先に述べたのと同じ条件のもとなら手術する考えをもっている。しかし現況ではまだその条件はゆるめられ得ないと考えている。

 世界の外科医の中には積極論者も多く、現在までに百数十例の手術が行われた。その結果、問題になった点が、殆ど明らかになった。

 (1)現在の時点では長くとも一年半程度以上の生存は無理である。
 (2)心臓の場合でも組織に適合した例を移植するのが望ましいが、
  現在のところ心臓移植で組織の適合性を的確に判断する手段がない。
 (3)拒絶反応を抑制する方法が完全でない。 
 (4)死亡はしているがその心臓は移植に耐えるというような状態、
  これを判断する標準に問題がある。

 この状況では心臓移植の条件を緩和するわけにはいかない。
 これらの諸点については、さらに実験研究を続け、解決を図らなければならない。他方、現在の進歩状態でも私の述べた厳格な基準に適するような例なら、家族の希望があれば手術してよいと思う。
 ただし、それほどまでして人類は生き長らえるべきかどうかについては、強い疑問を持っている。 


- 『医の心』 あとがき より - 「心臓移植の条件」についてのみ抜粋
いろいろな誤解や、雑音にさまたげられことなく、心臓移植という新しい分野の治療法を一般の人々にも考えてもらいたいと思う。こうした治療法が行われるべきかは、医学の将来のあり方にも関係する大きな問題で、心臓の移植手術だけの問題ではないのだ。 

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            「医の心」 榊原 仟(しげる)  著 
           (昭和47年・1972年発行)より一部抜粋

          <<< 前回 心臓移植の条件・・・その1

 *最初にUPさせていただいた、  
   ◇ 「医の心」より、その1 -私の提案-
       医師の偏在を防ぎ若い医師の時間と経費との浪費の悲劇を
      なくすためにはどうすればよいのか。 続き...をまだ
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by madame_oco | 2007-04-08 00:50 | ◇ 医の心(全8)

心臓移植の条件・・・その1-「医の心」より
 *今ではもう市販されていないようなので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

           「医の心」 心臓移植の条件・・・その1
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               「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P144~P148
 昭和42年(1967年)の秋、アメリカの学会で、心臓を移植された後5年半も生きている犬の映画を見せられ、また死後30分たって取り出した人間の心臓が、人口心肺で拍動を続けている映画を見せられた。この時、私は心臓移植がちかいうちに臨床例で行われるだろうと確信した。

 そうなると当然、私の研究所でも問題になるだろうから、このような手術を行ってよいものかどうかを考えておかなければならないと思った。まず、仮に自分が心臓病で死に臨んでいて、生きられる方法がこの手術以外にないとしても手術してほしいとは思わない。理由を考えてみても、たいした理由ではなく、ただ他人の心臓をもらってまで生きたくないと思うだけなのである。

 そこで、できるだけ多くの人に、同じような質問をしてみた。私のきいた範囲では殆ど例外なしに「否」という答えだった。心臓の移植が安全にできるようになっても、そういう手術で生きのびることに幸せを感じない人が絶対数なのである。しかも、理由ははっきりしないが、ただなんとなく嫌だというのだ。これは人間の本能に基づくものだと、私は考える。なぜ人間の本性としてなんとなく希望しないのか。おそらくはこの手術が人類が存続するために、必ずしも適した処置ではないからだろう。

 人間は死ぬべきときに死ぬのがよい。それを無理にのばすのは本人の幸福につながらないだろうし、人類の滅亡を早める原因とも言えるだろう、ということを直感して、こうした手術による延命を皆がきらうのだろう。このような問題や善悪の判断など、論理上の問題は理論では決められない。善とか悪とかいっても時と場合によって変わる。ある民族では「盗み」が悪いとされていても、他の民族では許される。殺人さえ条件によっては、許されたり奨励されたりさえするのである。だから、ある社会の時点で絶対多数の人が直感的に可とするものをよいとするほかはない。

 死体の心臓を移植して生命の延長をはかる。このこと自体が善意かは理論では決めれないから、絶対多数の人が支持するならただしいとせざるをえない。私は心臓移植がはじめて行われた時点で、絶対数の人が反対だったから、科学的には可能でも、これは行うべきではないと、当時ある雑誌に次にように書いた。 
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 「米国の外科学会で人間の死体からとった心臓を対外循環法で振動を続けさせる実験を映画で見た時、私は錬金術者の実験室を思い出した。薄暗い地下の実験室で鳥や犬の死体からとった臓器を煮たり焼いたりして、実験していた錬金術者の姿そのものを私は見たと思って、ぞっとしたのである。

 神をおそれぬものとして恐怖されていた錬金術者が、今は姿をかえて現れている。医学の進歩は医学の進歩そのもののためにあるべきではない。人類の幸福のためにあるべきなのは言をまたない。医学の進歩が人類を幸福にしないのならば、それは進歩ではないのである。心臓自身に回復する力が残されており、何日かをとにかく死なさずにすむならば、心臓は回復して健康になれる。その回復を待つ時間の間、一時的に人工心臓や移植した心臓で生かしておくのならわかる。私自身もその目的のための人工心臓は研究している。しかし、自分の心臓に回復する力が残されていない場合に、これを切除して人工の心臓や死体からの心臓をつけて生存を続けさせることは、決してその人を幸福にしないだろう。従って医学の目標として研究されるべきことではないと思う。ビルロート(医の手術を完成させた大外科医。心臓の手術には反対であった)が、"心臓には手を触れるな"と叫んだ時、その言葉を無視して坂をかけおりた人類はついに達すべきところにまで達しようとしている。こうなっては、おそらく誰もがこれをとめることはできまい。必ず実現すると思われる恐るべき時代を目がけてまっしぐらに進んでいるのである。原子力という太陽を手につかんだ人類が原子力の魔力にほんろうされているように、心臓の手術に成功した人類は、医学の本質から離れて臓器移植の恐怖にふりまわされようとしている。

 今こそ、われわれ医学者はビルロートの言葉を再び味わって、反省すべき時期に来ているのではないだろうか。人が死ぬべき時に死ねた昔のよき時代を、苦悩にみちた患者に夢見させないためにも。臓器移植の問題ではなく、医学の本来の道を近代の医学は時にふみはずしがちのように思えるから」

 その年の12月、予想どおりにバーナード博士が心臓移植を行った。第一例が行なわれると私の周囲には賛成論者が満ち満ちた。新聞の論調はきそってこれに賛意を表した。不思議なことにその第一例が18日で死亡するとともに不賛成論者が多数現れてきた。そして翌昭和43年(1968年)1月にバーナード博士が第二例を行うとともに賛成論が再び新聞雑誌を埋めた。試みに私は周囲の人々にきいても移植賛成者が圧倒的に多かった。それでも私は慎重論であり『臨床外科』」という医学誌に次の要旨の論文を載せた。

 「心臓移植の可否を論ずるには根本的に倫理感というようなものが問題となる。倫理というものは理屈で決められるものではなく、その時代、その社会の人々の大多数が正しいと感ずるものを、よしとせざるをえない。心臓移植についても、その立場から可否を考えてみた。ところが手術結果がよい間はほとんどの人が可とし、結果が悪くなるとともに僅々18日の間に否とする考えが圧倒的に多くなり、これには驚いた。このような根本的な問題についての大多数の人の判断が、かくも簡単に変化することに驚きとともに不安を感じたのである。おそらくはマスコミの影響だろうが、こうしたマスコミの時代には、人の善悪に対する判断が非常に容易に変わりうることを発見したのは尊い経験であった。

しかし、...           続き >>> 心臓移植の条件・・・その2 

  今回は長いので、ここから後は次回にさせていただきますネ^^

いろいろな誤解や、雑音にさまたげられことなく、心臓移植という新しい分野の治療法を一般の人々にも考えてもらいたいと思う。こうした治療法が行われるべきかは、医学の将来のあり方にも関係する大きな問題で、心臓の移植手術だけの問題ではないのだ。
- 『医の心』 あとがき - より( 「心臓移植の条件」についてのみ抜粋 )

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           「医の心」 榊原 仟(しげる)  著 
            (昭和47年・1972年発行)より一部抜粋


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      なくすためにはどうすればよいのか。 続き...をまだ
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by madame_oco | 2007-04-05 23:53 | ◇ 医の心(全8)

「医の心」より、その6 - 医療産業に目をむけよ- Vol.2
 *今ではもう市販されていないようなので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

          「医の心」 医療産業に目をむけよ Vol.2
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               「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P71~P74
他方、一般の人々も医療とは金のかかるものだということを理解してもらわなければならない。聴診器一つで治療ができていた時代と同じ程度の医療費を健康保険で考えているとしたら、大変な間違いになる。新しい医学にどれほど費用が要るようになったかは、はじめに述べた心疾患の治療の場合の例でもわかる通りである。その費用のかかる治療によって、かつてはなおらなかった患者がなおるようになり、なおっても社会復帰のできなかった患者が社会で活動できるようになったのだ。治療の安全を期するため莫大な費用のかかる設備や機械が用意されている。それほどまでにする必要はないと思う人があったら それは間違いだ。

生命の安全のためにはどれほど費用が投じられても、投じられすぎることはない。汽車や飛行機、自動車などが、あらゆる努力を払って安全を期しているのと、もちろん同等でなければならない。きわめて稀にしか使うことのない救急処置用の設備にもお金がかけられるべきだ。それをむだだと考えているのだろうか、こうした設備に対する費用は健康保険などでは考えてもいない。殆ど使わないような救助船や救助具、避難用の階段などを高額の費用をかけて設備しておかなければならないのと同様に、たとい殆ど使わなくても治療の安全を期するためには、各種の一見むだな設備が万一に備えて必要なのである。

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 こうした背景で医学は進歩している。私達の健康を守るためには金がかかるのだ。それを値切って、聴診器一つの時代に戻そうとしてはならないと、私は思う。治療に使う機械を生産する人達は、安全のためのチェックを十分にしなければならない。使ってみて欠陥があったら、作りなおすという安易な考えは医療機械の場合は許されない。なぜなら、自動車やテレビなら使ってみて欠陥があれば、取り替えることができるが、人体ではそれができないからだ。それだけ、良心的な生産態度が厳しく要求されのである。科学が進歩するに従って、医学の方面でも限りない進歩が見られるだろう。あるいは各種の人工臓器が次々と実用に使われるようになるかもしれない。

 しかし、そこには絶え間ないチェックが必要だ。仮に一人の人間を生かすのに、一日何十万円の金がかかり、三十人の医師をくぎづけにするような方法が発明されたとしよう。現在の心臓移植などはややこれに近い治療法だ。いったん発明されたとなると、それを使わないで死なせることが人道に反するように思われ、すべての人に使わなければならなくなる。そのためには他の患者が犠牲にならさるおえなくなり、そこに問題が起きる。

 現在の蘇生技術でさえ問題を起こしつつある。昔なら当然死んでいた人を生かす方法ができたため、蘇生させうる患者には全力をもって蘇生させる。この中には、命はとりとめたが、すでに脳がおかされしまって、ただ生きているだけで、意識の全くなくなっている患者もいる。しかし、生きている以上、思い切って治療を中断できない。中断すれば死亡するが、治療を続ける限りは生きているのだ。このために医師や看護婦の手は占領され、治療のための費用は積み重なる。人手の多い大学病院のような所では影響が少ないが、人手の少ない所では他の患者の診療がそれだけむずかしくなる。決まった額で行われている現在の保障制度では、こうした望みのない治療に多額のお金が使われることは他の患者に影響を与えることになる。しかし、その患者の家族にとっては患者の命は少しでも延ばしておいてほしく、望みがないからといって、容易には治療を地位段しにくいのである。人工心臓などができれば、ますます死ぬ人が少なくなってこよう。現状ままでも三十年後には七十億に人口が達するといわれ、その数の人達を養うためだけにも人類が二千年間に払ったと同じ努力が要るといわれる。こうした中では発達していく医療器具には、ある程度のチェックが必要になるだろう。たとえば人工心臓などで、従来死んでいた人が何十年も生きるようになっては困るなどという理由で使用が禁止されるようになるかもしれない。

 公害問題で従来の産業に対する考え方が変わってきたように、医療産業についても広い視野に立った規制が行われるようになるだろう。しかし、私は、健康な生活を獲得させるための医療機械は限りなく発達し、需要は一層強まるに違いないと思っている。

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               「医の心」 榊原 仟(しげる)  著 
              (昭和47年・1972年発行)より一部抜粋


         最初にUPさせていただいた  

      ◇ 「医の心」より、その1 -私の提案-
 
           医師の偏在を防ぎ若い医師の時間と経費との浪費の悲劇を
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by madame_oco | 2006-12-08 00:26 | ◇ 医の心(全8)

「医の心」より、その5 - 医療産業に目をむけよ- Vol.1  
 *今ではもう市販されていないようなので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

          「医の心」 医療産業に目をむけよ Vol
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               「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P69~P71
  将来は病院全体を、ある国に発注するということになる可能性が大きい。この場合、現状ではわが国の立場は著しく不利だ。先日、南米のある国で大病院を作るのに必要な備品類の一切を書き出してほしい、と相談をうけた。適当な人達にお願いして作成してもらったが、莫大な額にのぼった。テレビ付のレントゲン一台でも数千万円にのぼり、それが病院全体では何十台となるのだから非常な額だ。これらのものを発注するのにどこの国の製品がよいかというのも知らせてほしいとあったので、それぞれの専門の医師に書いてもらった。わが国で少なくとも同程度のものができる場合には是非日本の製品を、という方針で選んでさえ、殆ど日本のものははいっていなかった。わが国に製作能力がないのではない、十分にあるのだが、
しかるべき企業家が目を向けていないだけである。次の時代の第二次産業になるべき医療機械に対する関心の低さが気になる。

 医療機械といっても病院の建築から室内装飾、患者食、椅子、紙類に至るまですべてを一括してまかせられるのだから、単なる一企業だけでまかなうことはできない。総合計画のもとに合同して進めるべきである。また、日進月歩の世界だから、絶えず研究していなければ遅れをとってしまう。ただ、医師がいなくては、どんな形のものが必要であるかはわからないし、一方、医師は理、工、化学の方面の知識を持たない。そこで両者が緊密に組合わされてはじめて進歩させることができるわけだ。
 
 私達は今そのために医、工、理、化学が共同して研究する場を計画している。機械を駆使できる医師 ―それが、これからの医師には是非必要なのだ― を養成しつつ医学を理解する理、工、化学の専門家を作ろうという構想だ。このように医学に機械など医学そのもの以外のものが非常な勢いで流入してきているが、医師である以上は決して機械に溺れてはならない。機械の威力に圧倒されて盲信し、たとえば患者の診断を機械にまかせるなどは考えるべきではない。少なくとも近い将来まではコンピューターは記憶や計算の力の点では進んでいるが、思考、判断力は人間の頭脳のほうが遥かに進んでいる。私達が診断にコンピューターを用いているのは、診断の参考になる資料を迅速に供給させるだけのためであって、診断そのものは、人の頭脳によっているのだ。人の病気には必ず精神的な影響を伴う。あるいは精神的な作用だけでも病気が起こる。病気にみられる精神的な要素を無視して病気はなおせない。医療があくまで一対一の関係で行わなければいけない理由はここにある。i医師は機械をもっと上手に使いこなすようにならなければならないが、機械に使われて、むだな被害を患者に及ぼすようになってはいけない。。
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               「医の心」 榊原 仟(しげる)  著 
              (昭和47年・1972年発行)より一部抜粋


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"医師がいなくては、どんなものが必要であるかがわからない"というのは、先ごろ行われた産業・医療クラスターのシンポジウムでも言われていました。 

       スタンフォード大学医学部教授    ウメオデザイン研究所所長   ウメオ大学生物工学部教授
      Chrise E.Constantinou氏     Tapio alakorkko氏       Olof Lindahl氏


         *クラスターという言葉を最初に経済用語として使ったのは
           ハーバード大学ビジネススクールのマイケル・ポーター先生で、
           「国の競争優位」という本の中で使われているようです。
 
           「産業クラスター」とは、技術・生産・研究・人材教育・資金・情報などを
           提供する機関が、ぶどうの房状に連結・集積している地域を意味し、
           シリコンバレーやカリフォルニアのワイン・クラスター、
           ハリウッドではエンターテイメント・クラスター、
           北イタリアではファッション・クラスターなどを例として挙げているようです。


           私のメモが不十分なので、資料を待っているところなのですが
            来年1月頃には、詳しくお伝えできるのではないかと思います♪


                               気になった方は写真をポチットお願いいたしますm(_ _)m
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by madame_oco | 2006-12-06 00:08 | ◇ 医の心(全8)

「医の心」その4 人間の幸せとは何か 
  *今ではもう市販されていないようので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

          「医の心」 人間の幸せとは何か Vol3
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               「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P31~P32

 最近、医師に対する不信感をしきりにあおっている向きがある。医師一般に対して不信感を持ちたければ持っても良いが、少なくとも一人の信頼できる医師を持たない人はきわめて不幸である。

 必ずそのために後悔する時がくるだろう。無責任に不信感をあおるのも、あおられて信頼感を失うのも再考する必要があるのではないかと思う。それと共にこれは当然なことだが、医師もその信頼にこたえるだけの誠実さを持たなければならない。同時に患者のあらゆる相談にのってあげれるだけの医学以外の教養も積んでいる必要がある。そのためには日頃の自己の言動をつつしむと共に、医学の書物だけではなく広く一般教養に関する書籍を読んでいる必要がある。私は新しく医師になった人、あるいは医学方面に進もうとする若い諸君に夜寝る前の三十分間、毎日医学以外の書籍を読むことをすすめている。三十分という時間は少ないかもしれないが、毎日ともなれば相当な量に達する。書籍の中で広く世界を旅行して見聞をひろめ、人生の諸問題にぶつかって打開策をはかることによって、はじめて人々の各方面の経験を自分の経験とすることができるのだ。こうした習慣を続けることが医師の教養を高める一助にもなるだろう。病気の中には不治の病がある。患者が不治と知っていてその中で心の満足をうることを知れば、その人は幸せになりうる。その道を教えることも医師の大切な役目なのだ。中には病気でもないのに病気と考えて悩んでいる人もある。たとえば鼻が他の人よりも低いから高くしてほしい、といってくるような人の鼻は決してそんなに低くない。だが、本人は低いと思って悩んでいる。このような人をなおす方法は鼻を高くすることではなくて、現在の鼻の高さで少しもおかしくないと説得することだ。それが医療なのである。
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               「医の心」 榊原 仟(しげる) 著 
              (昭和47年・1972年発行)より一部抜粋

   ↓Arranged by OCO 
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先ごろ読書の秋ということで、医師がどんな読書時間を
過ごしているかという調査が行われ、結果2割強の医師が、
医学書以外の書籍や雑誌を「ほとんど読んでいない」と
回答があったそうです。やっぱり多忙なのでしょう...
医療従事者だけでなく、私達一般社会人も同じく
榊原先生がおっしゃったように、是非就寝前に時間を
つくり、見聞をひろめていきたいものですね^^
 

                             只今過去記事UPキャンペーン中♪
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◇11/30/20:38・追記
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by madame_oco | 2006-11-29 13:12 | ◇ 医の心(全8)

「医の心」より、その3-人間の幸せとは何か- 
  *今ではもう市販されていないようので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

          「医の心」 人間の幸せとは何か  Vol.2
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               「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より P28~P31
 後にも述べたように、病気はなおせたとしても、もとのとおりの体にもどったとは言えない場合が多い。少なくとも外科的治療ではそうで、皮膚に手術の傷跡が残る。生命を助けるためにはいたし方ないことではあるが、手術の傷が大きな場合には患者は新しい悩みを持つことになる。こうした悩みをできるだけ心の負担にならないようにしてやらなければならない。心臓の手術のあと、胸の真ん中に縦に傷跡が残る。人によってはこれがケロイド状になって目立つケースがある。それを恥ずかしがって、風呂屋に行くのをいやがったり、体格検査などを嫌がったり引っ込み思案になったり、暗い性格になってこまったという子供をつれて親が相談にきた。私はその子供に「君は心臓の手術という大変なことに堪えた立派な子供だ。君の胸の傷はその勲章だ。皆がその傷を見たら君がりっぱに大きな仕事をやりとげたことを知って尊敬する。胸を張って威張っていい」という意味の話をしてあげた。その後、大変に明るい性格になったと親から感謝の手紙をもらったことがある。

 重い病気では、たいていなおっても正常な状態になれない。 
 制限された状態で生活し、暮らしていかなければならない。それは患者にとって非常に苦しいことだ。それをできるだけ患者が苦としないように生活させてあげることは、一医師だけにできることではない。社会が援助する道を講じなければならない。しかし、患者の苦悩に対する精神的な支えになってはげまし、精神的負担をできるだけ少なくしてあげることは、医師としてしなければならない務めの一つである。例えば心筋梗塞などでは、よくなっても生活を制限し、活動を切下げなければならないことがあり、そのために、患者はいろいろな悩みに出会う。経済的にも後退することになる。今までの生活を切下げることはなかなかできないものだ。しかし、医師はそうしなけれならない時に患者を勇気づけてあげなければならない。

 「あなたは病気でなかったらとは考えなさるな。すでに病気になったのだ。その事実を変えることが出来ない以上、その状態で最高のことをしなければならない。あなたは今の状態になるまでは、もっと小さな生活をしていたのだ。その時点にまで生活をせばめることはできるはずだ。体のことを考えれば少しも恥ずかしいことではなく、苦にすることもない」というような意味の言葉で患者を激励して「目が開けたようだ」と喜ばれたこともある。まして、なおらない病気にかかっている人をなぐさめ、はげまして自信をもって闘病生活をさせることはむずかしい。だが、そういう気持になってはじめて患者は幸せになるのだから、そうなるよう説得を続けなければならない。これも医師の仕事である。同時にそういう腹をわった話が医師と患者との間で出来るような関係になることが必要だ。患者の側から言えば、自分が信頼し、いつでも相談ができる医師を持っていることが必要で、そうした医師、すなわち家庭医があって、はじめて安心できる。どんなに名医であってもある患者をはじめみた瞬間に、その人が常日頃と変わっているかどうかはわからない。しかし、かかりつけの医師なら、その患者が日頃とどう違うのか一見してわかる。同じ腹痛であっても、個人によって痛みの訴え方が違う。大げさに騒ぐ人もあるし、我慢して、あまり騒がない人もある。日頃を見慣れた医師なら「この人がこれだけ痛みを訴えるのだから相当な痛みだ」といったふうに訴えを的確に判断できる。これは病気の診断にきわめて重要なことなのだ。家庭医が一応みて、これは自分に負えないと判断し、専門医の手で治療した方がよいと考えた時には、しかるべき病院に送る。このようにして家庭医から送られる場合には、普段の患者の状態がくわしく知らされるので病院医も判断に困らない。

 このように家庭医があり、病院があるという形の体制が、患者にとって最も都合のよいシステムなのだ。風邪をひいた患者まで病院にこられたのでは病院の医師も困るだろうし、また病気もかえってなおらない。
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               「医の心」 榊原 仟(しげる)  著 
               (昭和47年・1972年発行)より

   ◇医の心・・・全8編へはこちらよりお越しください。

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by madame_oco | 2006-11-29 13:00 | ◇ 医の心(全8)

「医の心」その2 -人間の幸せとは何か-
  *今ではもう市販されていないようので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^

          「医の心」 人間の幸せとは何か  Vol.1
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  - 若い医師へ贈る言葉 -
 医師の務めは病気をなおすことにあることはいうまでもない。だから、その技術を取得すべきで、そのために諸君は過去何年にもわたって勉強してきたし、今後も勉強し続けるわけだ。
 だが、病気をなおすという技術を得たというだけでは、まだ臨床医としては不足で、別の意味での修練も必要だと思う。そこで、医師はどうあるべきかについて話してみよう。
                    
 世の中に幸せを願わない人はいない。
 幸せであるためには生活が安定し、自分の願いがある程度みたされていることが望ましい。同時に、病気になると、幸せではないだろうから健康でありたい、また精神的な苦しみ即ち「悩み」のないことが望まれよう。まず経済的な問題だが、経済的な裏付けがなくてはやはり不幸になるから、ある程度の裏付けがほしい。しかし、それはある限界で満足をすることを知らなければ幸せにはなりえない。欲望は限りなく拡大し、いつも欲望が満たされない状態にいれば、常に不幸ということになるからだ。従って、人間が幸せになるためには宗教、哲学などとのかかわりが必要になってくるだろう。

 健康については、際限なく健康でありたいということはなく、ある限界の健康さを持っていれば安心し幸せでありうるが、健康が失われた時は、手にしていた幸福も一挙に失いかねない状態になる。健康が失われた状態の不幸を救うのは、医業にたずさわる私達の務めである。さらに精神的な悩みの中にも医師が関与しなければならないものが少なくない。医師が「人間の幸せ」にかかわる面は非常に大きい。その意味で医師の社会に対する責務は重大である。

 また、医師に対しては常に高潔な人格が要求される。それには理由がある。病気はその人にとって最も弱い状態ある。どれほど社会的地位が高く、権力の座にいる人でも、病気の時には市井の人と同じにいる。私達医師はそういう弱い立場にいる人を相手にするのだから、その立場を利用して利益を追求するといった無法なことをしようと思えばできる。それに医師は患者の秘密を知っているからこれも利用しようと思えばできる。それなのに病人が医師に安心して身をまかせるのは、医師が絶対に秘密を洩らしたり、立場を利用して悪事を働いたりしないと信じているかである。事実、医師は他人の秘密を洩らしたりなどは絶対にしない。医師に高潔な人格を要求されるのはそのためで、これは当然なことである。ただし、同時に社会的な正当な支払で、医師に報いるべきで、現在のように正しい医療費が認められていないと悪徳医師が現れる危険性がある。これは社会全体にとって恐るべき事態をまねく。

 さて、病気をなおすのが医師の仕事であるといわれているが、単に病気がなくなったというだけでは人間は健康だとは言えない。WHO(世界保健機構)でも定義しているように、健康とは単に病気や欠陥がないだけでなく、肉体的にも精神的にも、さらに社会的にも良好な状態にあることである。意欲にあふれ、張り切って、社会生活に順応し、活動できる状態が健康である。だから、人間を健康にするのが医師の役目であるとすれば、しなければならない仕事の範囲は広い。医師はただ病気をなおす職人であってはならないし、幅広い人格をもって患者に接し、その健康を守り、本人を幸せにするように務めなければならない。私達はこの職業にたいして誇りを持つと共に重い責任を感じるのだ。
                    
 病気は正常な状態からの逸脱ではあるが、それだけでは病気とはいえない。肉体的、精神的な苦悩を伴うか、あるいは生命の危機を内蔵するような場合に、それが病気といえる状態になる。
 だから、医師は病気をなおしてただけで悩みを残せば、その病人はまだ治癒したとはいえない。病気はなおったといわれるけれども、ほんんとうになおったのだろうか。再発するようなことはないのだろうか。こうした心配を持っていると、精神的に痛みが起こったり、そのほかいろいろな症状が出てくる。よくなったといわれるが、まだ腹が痛い、手足がしびれる、息が切れるなどと限りなく訴えが現れ、その症状は悪くなっていくのだ。そうなれば、たとい病気そのものはなおっても、患者はよくなっていないので、悩みは続く。こうした訴えが精神的なものであって肉体的なものではない時には、医師の一言でなおってしまうことが多い。重いものでも何回かの説得で消え失せる。しかし反対に医師の不要な一言がこうした訴えを起こして患者を苦しめることもあるので、注意しなければならない。

 昔から名医といわれる人は患者のこうした訴えも共になおすことができるが、凡医はかえって患者の悩みをふやすのである。「小医は病を癒せず、中医は病を癒して人を治せず、大医は病を癒し、人を治す」という言葉があるのは、このへんの事実を述べているのだ。従って医学の修練にはげむと共に人格の陶治(とうや)につとめて、患者から信頼されるような者にならなければならない。


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               「医の心」 榊原 仟(しげる)  著 
               (昭和47年・1972年発行)より


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by madame_oco | 2006-11-28 23:19 | ◇ 医の心(全8)

「医の心」より - 医師をどう育てたら良いか - 
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          医師をどう育てたら良いか -私の提案-
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            「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P39~P45 

 どの職業でも大学を出たばかりのものをその道の専門家と考えるものはない。それぞれの職場で働き訓練されているうちに一人前に育ち専門家となる。
 その訓練される場所が一流の大学でなければならなくて、実際に患者の診療が熱心におこなわれている病院ではいけないと考えている人達が医科には案外多い。またそうだと信じている大学生の先生方さえいる。そして少数の患者に多数の被訓練者が殺到し、実地の訓練を受ける機会が少なく、しかも時間的に余裕があるから、アルバイトに出かけて金を得たりしているのが、医学界の実情だ。どんな職場にも定員制があるべきなのに、医科だけは定員を無視して集中する。その結果無給者が出ると「けしからん」と非を鳴らす。他方、大学以外の各病院や各医療施設では患者が殺到しているのに医師が不足し、病院だけがあって運営のできないような所がある。無理に医師を求めれば、一人前になっていない、訓練中の若い医師が、某大学の先生ということで、破格な高額の報酬を得てアルバイトに出張する。危ない事である。アルバイトに出ていれば金銭には困らないから大学に居残り、人生の最も重要な才能ののびる時期を慢然と過ごしてしまう。

 試みに医科以外の領域を眺めてみよう。大学を出ても一人前になったと見とめられない点では、どの科も同じだ。その状態で会社や官庁にはいり、それぞれ職場を得て俸給を受ける。はいった会社や官庁で、それぞれ訓練されながら働いている間にその道のエキスパートとなり後輩を指導する立場になる。この場合、訓練は大学でしかできないものだと考えるものもなく、大学で全員の訓練を引き受けるなどというのもない。まして、ある職場だけがすぐれており、そこに全員がはいれるのでなければけしからんとか、その職場が必要としていない人数が無理にはいりこんで、月給をくれなければけしからんなどというばかげた理論を振り回すものはない。どうして医科だけが大学至上主義を捨てられないでいるか、私にはわからない。大学至上主義がいかに若い医師を不幸にしているかをもっと考えてみる必要がある。
 
 どこの世界にも競争はある。大学の教室に残る事が医師の訓練を受ける最高の方法だと信ずるならそれはそれでよい。そう信ずる者達が殺到するだろうから、当然数の制限をうけなければならない。訓練には設備の程度と患者の数などの関係から訓練させうる者の数は決まってくる。だから、試験その他の方法で選択するのは当然で、競争に負ければ次善の職場に流れるのはこれまた当たりまえだろう。次善の職場が訓練に適さないというのなら、その場所を改良するか他を選んで教育をうけるなりすればよい。少数の患者で多数の医師が訓練を受けるよりは、多くの患者で実地の訓練を受ける方がはるかによい医師になれる。いわゆる医学者になれなくても、よい医師になればよろしい。医学者になりたいなら最初から別の道を歩むべきだ。
 世間にも、いまだに誤った考えがはびこり、そのために医師の偏在を招いて医師不足を起こしている。それは若い医師を信じないということと、大学で勉強している先生はすべて偉いという間違った判断だ。大学にはことし大学を出たばかりの医師からその道の大家まで、つまりぴんからきりまでの医師がいるのに、大学の先生だから偉いなどと誤って考えている。反対に町の医師は大学の先生に比べて劣っていると思っている。しかも年が若いほど駄目で、老人ほどりっぱな医師だと信じているのだ。世間がそうみるだけでなく、開業している医師自身でさえそう考えている人がいる。また、病院の院長などもそう考えているらしい。だから部長が辞職すると、後任を新しく大学病院から求めて、自分の病院で長く勤務した人を昇格させようとしない。社会がそうだから、大学の医学部を出て若い時代に病院に就職したりすると、いつまでも下働きをさせられてしまう。部長になる望みもない。従って、できるだけ長く大学にいて、年をとり外見は大先生にみえるようになってから就職しないと損することになる。かくて、実績は臨床の経験が少ない、ただ理屈にくわしい医師が大学にはびこるようになる。また、大学の病院には医師がありあまっていて少数例の患者にひしめきあっているのに反して、患者の多い一般病院では医師の不足に悩まされている。ひどい大学病院では一人の患者に平均三名もの医師がいる所がある。そこで臨床の経験をえるのは無理というものだろう。

 一般に医師が不足しているのは、治療が複雑化したために医師の手を多く必要とするようになったことと、地方の各病院が大きくなったことがあげられるが、医師の大学病院への偏在も重要な原因となっている。だから、医師不足を補おうとして大学をいくら作っても医師の偏在を是正しない限り効果はないと思う。なぜなら医師がその新しい大学に集まるだけのことだから。では、医師の偏在を防ぎ若い医師の時間と経費との浪費の悲劇をなくすためにはどうすればよいのか。私は認定医の制度を速やかに実施するのが良いと思っている。大学を出て一定期間、たとえば五年くらい一定の資格をもった指導医のもとで、一定の規格内以上の設備のあるところで、一定数以上の患者を責任ある立場で診察した医師に対し、内科医、外科医あるいは眼科医等の学会認定証を与えるのだ。大学病院はもちろん訓練の場にはなりうるが、患者数の関係で現在のように多くの被訓練者を採用するわけにはいかない。単に遠くから治療を眺めていたり、議論だけしたり、動物実験をしたのでは、臨床医としては訓練不足である。
 こうした認定医制度が実現すると、医師の大学病院への偏在が是正される。他方、大学以外の大病院は医師の数をそろえなければならないから設備を充実して資格あるりっぱな指導医を集めようとする。その結果、全国の医療水準が上昇する。訓練中といっても、それ相当の給料が与えられるから、生活は安定して、アルバイトのようなことはしなくてもすむ。またしてはならない。

 私は一人前の医師を養成するには、大学卒業五年ぐらいの期間で十分と思っている。ただし、従来のような時間のロスは許されない。りっぱな指導者のもとで、多数の患者を相手に寝食を忘れて勉強しなければならない。学会の認定した証明を持っていれば一人前の医師として通用するので、どの職場へでも堂々と就職できる。いたずらに年齢を重ねて老いこむ必要はない。就職した場所でさらに訓練を続け、次第に地位も進み、りっぱな指導者に成長していくのは医科以外の世界と同様になる。必要があれば大学病院や外国の病院などに留学して実力をつけるようにすることも、また同様である。医学の進歩を促すためには研究は必要だ。そのためには十分な設備を整えた所で、すでに認定医の訓練期間をすませた医師が研究にあたる。ここで研究する医師は専門的に研究だけする医師であってもいいし、臨床と研究とを同時に行う医師であってもよい。おもに大学病院のようなところに研究所が作られて、その運営に必要な医師の定員が確保される。ただし、医師以外のてですまされるような仕事は医師にさせない。医学の研究がいかなるものかを知らせる目的で短期、臨床訓練中の医師を研究所に働かせるのは良いが、いわゆる人手をみたすために働かせるべきではない。よい指導者になることの条件の一つは、医学の進歩に貢献することもあるだろう。だから大病院には研究の施設がほしいが、五年の訓練期間は研究のために時間をさかないようにすべきだ。でなければ訓練期間を延長しなければならない。

 認定医の科目は内科、外科、婦人科、眼科などおおざっぱなものにとどめる。循環器内科、消化器内科などの専門分野に進むものは認定を得てから後に進めばよい。これからの専門医は医師を教育するために教育医として必要である。だから、医師の訓練の場に必要なだけの数をみたすに足りればよいわけで、せいぜい全体の医師の一割もあればよいだろう。それより大切なのは一般科医だ。現在、内科医が一般科医のような仕事をしているがが、これは間違いである。内科、小児科、外科、婦人科の知識を持っていて、その治療ができる医師を一般科医とする。ただし、非常に専門的な内科治療、複雑な外科手術などはしない。
 社会が必要としているのはこうした医師である。全体の医師の七割くらいは一般科医であるべきだと思う。建築士に一級、二級があるように一般科医にも自然と等級ができるだろう。そうなれば、医師は最優秀な一般科医師になるように努力する。また努力に値する魅力をもたすようにしなければならない。従来は一つの臓器を勉強している医師を専門科医として特に尊敬する傾向にあったが、一般医科が認められるようになればその傾向は減るだろう。一つの臓器の専門家の方がすぐれているのは当然だから...。しかし一部に通ずる専門家も必要である。彼等がその分野の医学を進歩させ、それを一般科医に教えるのだ。専門医を特に重視しないで一般科医を一つの専門科医と認めるようになれば、社会の需要度に応じて各科の専門医が生まれるようになる。それは、現在、各科の医師数が自然に定まっていることからも予測できる。そしてその場合、一般科医がおそらく六割ぐらいを占めることになるだろう。専門医は教育病院に必要なだけだから、現在のように多いと、就職が困難になるので自然にそうなる。
 こうして医師の訓練法が他の学科と同じになって、若い医師が能力の枯渇しない時期にそれぞれそれ相当の部署につくことができる、医師の不足が解消すれば、ある臓器の専門訓練をうけた医者が一般医と同じような診療をするために失われていた時間のむだが解消する。もちろん無給医などというけしからん状態は消失するはずだ。

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               「医の心」 榊原 仟(しげる) 著 
              (昭和47年・1972年発行)より一部抜粋

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      ◇私と「医の心」との素敵な出会いにつては、
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by madame_oco | 2006-11-24 00:49 | ◇ 医の心(全8)


世界の片隅に小さな小さなcafeをオープン♪ 心も体も元気でいれるようにコーヒーを飲みながら...ひと息つきましょ.。.:*・゚☆
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復興アクション 被災地のために日本のためにMadameからみなさんへのメッセージです♪ 
 ★約1年ぶりのUPです★
 お久しぶりでございました。
 小正月を迎えた今夜(16日)、
 背景をく桜に変えてみました。
 少しは気分転換なれば良い
 のですが...って、コレは
 自分のためでした(ココロニ汗)。
 こころがちょっと萎えちゃう時
 いつもより少し多めに睡眠を
 とると良いかもしれませんね。
 それではどなたさまも今宵は
 ぐっすりとおやすみください☆彡 

 今年もよろしくお願いいたします^^   
 17 January  2009 00:20


 
  ★おはようございまーす★
 久々にこちらへメッセージを^^
 ウフッ春らしくなってきましたネ♪
 でもそのかわりに毎年恒例の
 クシャミとの戦いも始まります。 
 色とりどりの綺麗な景色なのに、
 なみだ目になっちゃうので、楽し
 んでいる余裕もない感じで...
 でもそんな時には少しでも心に
 エネルギー補給Power Charge
 をしなくてはいけませんね。そこで
 このブログのテーマ曲を決定♪
 一昨年はQUEENの
 ★"I WAS BORN TO LOVE YOU"
 昨年はTommy Emmanuelの
 ★"SINCE WE MET"でした。
 そして今年は先日記事で紹介した
 ★"TAKE MY HAND"
 ・・・SIMPLE PLANのRock調で
 激しく(笑)いきたいと思います♪
 記事を読む前に、まずはカチッっと
 ONにして記事を読むとGooo♪
    
 それではみなさん、今日も心に
 しっかりパワー・チャージをネ♪
  11 March 2008 9:15
 思えば去年もだったのですが、
 たぶん風邪ではなく喉の乾燥で
 2・3日前から咳込みがひどくなり
 お腹の筋肉がちょっと痛みます。
 普段から腹筋を使っていないのが
 バレバレですね^^;去年も病院
 へ行かずに治るのを待ちました。
 大変と言えばちょっと大変ですが、
 たまには自然治癒力を使ってあげ
 ないと、なんだか体に申し訳ない
 ような感じがする今日この頃(笑) 
 週末明けには治ると思います♪

 それではどなた様も素敵な週末を
 お過ごしくださいませね♪♪♪
  2 February 2008 00:03

  大寒を迎えてから益々寒さが
 厳しくなってますね。風邪など
 ひかれていませんでしょうか?
 コメントをいただいたままで、
 ◆お返事がまだのみなさんへ◆
 もうちょっと待っててくださいね。
 ゆっくりお話ししたいものですか
 ら、お時間ください♪ ・ ・ ・ ・
 この頃、大好きだった伯父さん
 のお見舞いに行ってきたその夜、
 他界しました。明日がお別れの
 日なものですから...ちょっと
 落ち着きましたらきっとです^^
 
 それと、今宵あたり別ブログで
 7万アクセスになるようです♪
 さて7万を踏むのはいったい?
 キャー!!あと一人ですぅぅ!
 25 January  2008 23:58

 と、見に行っったのは良かった
 のですが、日付が変わり自分
 で踏んでしまいました..トホッ
 ぃゃ~ん、なんてことでしょ^^;
 ということで、今夜は静かに退
 散致します。おやすみなさぃ       
 26 January  2008 00:10


 小寒を迎えてから寒さ続きの
 毎日ですが、いかがお過ごしで
 しょうか?この時期、触れるもの
 がヒンヤリしていると、何故か心
 まで寒くなってしまいますよね。
 それでなのか、この時期になると
 冬眠状態になってしまうのです。
 ゴメンナサイ^^;。だから、せめて
 温かいコーヒーでもお出しできた
 ら良いのですがね...。スミマセン
 まずは心温めるチキンスプを探
 しに行ってきまーす。それでは、

 今年もよろしくお願いいたします^^     
 18 January  2008 14:10


        いつも支えてくださり、ありがとうございます^
   いかがお過ごしでしょうか。。。
 明日からパリイに飛びます♪

 というのはウソです。お江戸で
 お仕事&お遊びです・・・(笑)
 お泊りは先日(記事)と同じ所。
 本当は丸の内あたりにお泊り
 したかったのですが混み混み
 とのこと。残念です。せめて
 ランチは食べてみたかったわ。 
  
 明朝早いので・・・お先に失礼ぃ♪ 
 14 November 2007 23:58


        いつも支えてくださり、ありがとうございます^

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 ご来店、ありがとうございます^^
 いつも陰ながら支えて下さってる
 Madameの大切な皆さんへ・・・
 夢見る事を忘れないでくださいネ。
 一人の夢が、多くの人の人生を変
 えた事を思い出してみてください。
 夢の持つ力を信じてみましょー♪

   では、素敵な週末を^^ 

   21 July 2007 00:30

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