写真はただいま禁煙中の第44代目の白人大統領ともいえるオバマ氏
このcafeからの記事UPは久々になりますね。ご無沙汰しておりました☆彡
北海道で初雪が降りましたね。ハロウィン前日、ロンドンでは珍しく雪が降ったとか。
たしかにロンドン(北緯51度)やパリ(北緯49度)は樺太と同じ程の位置と考えると、
降ってもおかしくないんじゃないかと思っちゃいますよね。(これにはいろいろと訳が)
それにしてもこの時期に降ることはめったにないとのこと。心変わりでもあったのかしら?
実は温暖化ではなく氷河期のはじまりだったりして....?
そうそう、お話をすすめましょう♪ 今回もまた米国のシステムを知ることができました。
新聞の片隅にあったこんな(小さな)記事を置いてみましょうね^^
オバマ氏は黒人か?混血か?
米メディアでは同氏の「人種」の定義を巡る議論が繰り広げられている。
父が黒人、母が白人のオバマ氏は「米国初の黒人大統領であるとともに、
44番目の白人大統領とも言える」(CNN)との見方もある。
オバマ氏が一般的に「黒人」とされるのは、本人がそう主張しているため。
米国では国勢調査の際に「人種」の選択を迫られる。
2000年の調査から「混血(マルチレイシャル)」という選択肢が登場、
複数回答も可能になったが、それまでは一つの分類を選ばなければ
ならなかった。
自伝「マイ・ドリーム」によると、少年時代のオバマ氏は雑誌「ライフ」で、
皮膚の色を白くしようと化学療法を受けて不自然に青白くなった黒人の
写真を見て衝撃を受けた。それ以来、人種問題を意識したと説明している。
米国では長らく「ワン・ドリップ・ルール(一滴主義)」という考え方があり、
少しでも黒人の血が入っていれば黒人と見なされた。最高裁は1967年に
一滴主義を違憲と判断したが、その後も社会通念上、色の黒い人はたとえ
混血であっても「白人」を選択しづらい状況にあった。
- 日本経済新聞 2008/11/06 国際2より -
日本人の場合や他の国ではどうなんでしょう?
バラク・オバマ次期大統領(47)が誕生した1961年は、過半数の州で、
異人種間の結婚が重罪になる時代だった。
6歳で母の再婚相手の出身地インドネシアに移住。インターナショナルスクールに
通う経済的余裕がなく、自宅で早朝から通信教育の教材で学んだ。
10歳でハワイに戻り、黒人差別に直面する。「クーン(黒人)」。学校ではじめて
差別用語で呼ばれた日は、相手の顔を血が出るまで殴った。黒人としての居場所
を探し続けコロンビア大学に進学。人種問題で悩み、コカインを使用したと後に告白
している。若かりしころには小説家を夢見た。
- 日本経済新聞 2008/11/06 国際4より -
★Wikipediaによると・・・1961年8月4日 ハワイ州ホノルルに生まれる
実父のバラク・オバマ・シニア(1982年没)はケニアのニャンゴマ・コゲロ (Nyang’oma Kogelo) 生まれのイスラム教徒(ムスリム)であり、母親はアメリカカンザス州出身の白人、アン・ダナム(1995年没)。2人はハワイ大学で知り合う。イスラム教の戒律では(少なくとも建前の上では)ムスリムの子はムスリムであらねばならないとされているが、本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。これについてオバマは自伝で「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と説明している。両親は1964年に離婚し、1965年に実父はケニアへ帰国。異父妹が1人。異母兄弟8人(うち4人死没)。なお、バラック・オバマ自身は1971年に実父と再会している。
今回は今までにない(たぶん他所でもない?)、面白いことを試みてみました。
ほとんどのブログは、記事UPした日付を変更することができる機能があります。
(ですから、アリバイ等には使えません・・・笑)
この記事欄(枠)、実は11月1日にUPしておいたもの。非公開にしたまま、
選挙発表直前(日本時間の5日)にコメントを残してみることにしました。
(今頃になって、ちょっと気恥ずかしくなってきました...^^;)
今アメリカでは、歴史上初めてといえる「頭脳流失」の危機に直面しているといいます。
はたして今回の選挙でその流れを変えることができるでしょうか。気になるところです。
このことについては、またの機会にコーヒー片手にお話ししましょうね^^ ←
コレが変信!?
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そろそろ暖炉前でコーヒーを飲みたいですね^^