*今ではもう市販されていないようなので、この本が私の手元に届くまでの間、仮置きさせていただきますネ^^
「医の心」 心臓移植の条件・・・その2
「医の心」-榊原 仟-(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋 P148~P152
「心臓移植の可否を論ずるには根本的に倫理感というものが問題となる。倫理というものは理屈で決められるものではなく、その時代、その社会の人々の大多数が正しいと感ずるものを、よしとせざるをえない。心臓移植についても、その立場から可否を考えてみた。ところが手術結果がよい間はほとんどの人が可とし、結果が悪くなるとともに僅々18日の間に否とする感が和えが圧倒的に多くなり、これには驚いた。このような根本的な問題についての大多数の人の判断が、かくも簡単に変化することに驚きとともに不安を感じたのである。おそらくはマスコミ時代には、人の善悪に対する判断が非常に容易に変わりうることを発見したのは尊い経験であった。
しかし、たとい多くの人が心臓移植を可としても、少なくとも次の諸問題が満たされなければ心臓移植はしてはならぬと思う。
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(1) 心臓提供者側に問題の場合。すなわち確実に死亡していて、しかもその心臓が移植によって拍動を回復できる場合。これはほとんど現在の状況では望めないことだろう。
(2)心臓移植に失敗した場合、ただちに使い得る程度にまで人工心肺が発達していること。
でないかぎり患者から心臓をとり出すことは許されない。これに対して、現在30パーセント、40パーセントの手術危機率のある手術も行われているのに、移植だけがいけないという理由がないと反論はあると思う。しかし、現在行われている手術は、手術自体は100パーセント安全なことが動物実験で確認されており、ただ罹患者の疾病の重症程度や合併症の状態によって、手術にたえ得ないのである。しかし心臓移植そのものが、このように安全になっているとはいえないから、失敗した時の安全弁として人工心臓が必要なのだ。
(3)拒絶反応の抑制法が確立すること。
これらの条件は現在の時点で、みたされるようになったと考えるとができないし、しかも心臓移植が必ずしも人類を幸福にするとは考えられないので、反対である」
さらに、同年8月、わが国で和田寿郎教授が心臓移植を行った。これを機会にあらゆる報道機関はこの手術に賛成し、殆どすべての人々がこれに和した。心臓移植を希望する患者や心臓を提供しようと申し出る人が相次いだのである。
科学はそれ自身で進歩する。だから、どこまで進むかどのような方向に発展するか誰にもわからない。この科学の進歩をいかに人生に応用するかは、その時代に生きる人類が自由に選択してよいことなのだ。ただし、それを応用することが人類にとって、幸せであるという道を選ぶことが次の時代の人類に対する責任とでもいうべきことなのだ。医学の進歩は心臓移植を可能にした。今や、わが国の殆どすべての人が心臓移植を是とするようになった。だとすれば、手術はあくまで不可とするわけにはいかないが、それにしても、まず厳重に制限された例に限って手術が行われるべきである。その結果が明らかになってはじめて次のステップを踏まなければならない。そこで、私は次のような条件の場合に限って手術が行われてもよいという標準を出した。
心臓移植患者は、たとえば冠動脈の三つの枝が完全に閉塞した心筋梗塞患者のように、放置すれば数時間ないし数日で死亡するような患者に限る。腎臓提供者は交通外傷で頭がすっとんでしまったが、心臓は拍動しているというような素人のだれがみても生き返るとは思えないものに限る。このような例なら私も心臓移植を行う。ただし、このような例が同時にみつかるということはめったにないから、私の一生には手術する機会は殆どないだろう。しかし、ないとはいえないから、いつでも手術ができるように用意万端を整え置く。こうしたまれな場合に限ると、一人の外科医が多数を経験するようなことはないだろうが、世界中で集めればかなりの数に達して、心臓移植が治療として価値あるものかどうかがわかり、問題が判明する。その結果さらに進歩して、次にはもっとゆるい条件のもとで手術できるようになろう。
この私の考え方は、現在も変わっていない。私が「消極的賛成論者」「多少余裕を残した不賛成論者」と呼ばれたのは、以上の条件が厳格過ぎたからだった。当時、積極賛成論者が多かった医学分野でかなり責められたものだった。
ところが、その和田教授の例が八十日をへて死亡すると、今度はまたまた世論が変わったのだから驚く。英雄扱いしていた同じ新聞がそれを忘れたかのように、手術者の和田教授を攻撃した。それと共に私は同じ意見を述べているにもかかわらず「賛成論者」であり、けしからんといわれることになった。当時依頼されていた鑑定書の問題事項も返答の内容も知らないで、それが悪いという異論をはく人さえ出てきたのである。それとは別に、私は心臓移植に対し現在も先に述べたのと同じ条件のもとなら手術する考えをもっている。しかし現況ではまだその条件はゆるめられ得ないと考えている。
世界の外科医の中には積極論者も多く、現在までに百数十例の手術が行われた。その結果、問題になった点が、殆ど明らかになった。
(1)現在の時点では長くとも一年半程度以上の生存は無理である。
(2)心臓の場合でも組織に適合した例を移植するのが望ましいが、
現在のところ心臓移植で組織の適合性を的確に判断する手段がない。
(3)拒絶反応を抑制する方法が完全でない。
(4)死亡はしているがその心臓は移植に耐えるというような状態、
これを判断する標準に問題がある。
この状況では心臓移植の条件を緩和するわけにはいかない。
これらの諸点については、さらに実験研究を続け、解決を図らなければならない。他方、現在の進歩状態でも私の述べた厳格な基準に適するような例なら、家族の希望があれば手術してよいと思う。
ただし、それほどまでして人類は生き長らえるべきかどうかについては、強い疑問を持っている。
- 『医の心』 あとがき より - 「心臓移植の条件」についてのみ抜粋
いろいろな誤解や、雑音にさまたげられことなく、心臓移植という新しい分野の治療法を一般の人々にも考えてもらいたいと思う。こうした治療法が行われるべきかは、医学の将来のあり方にも関係する大きな問題で、心臓の移植手術だけの問題ではないのだ。
「医の心」 榊原 仟(しげる) 著
(昭和47年・1972年発行)より一部抜粋
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心臓移植の条件・・・その1
*最初にUPさせていただいた、
◇ 「医の心」より、その1 -私の提案-
医師の偏在を防ぎ若い医師の時間と経費との浪費の悲劇を
なくすためにはどうすればよいのか。
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この本に関してお知りになりたい方は
それぞれをお読みいただくことをおすすめいたします m(_ _)m
◇
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