世間では連休もきょうでおしまい。
最後の休みをどんな風に過ごしているのでしょ...
ただいまownerはcafeでコーヒーと一緒に過ごしております。
こんな時間を過ごすのも、なかなか良い気分であります♪
それで、きょうはちょっと眺めの?^^;...ぃぇ長めのものを置いてみました。
実は、、、
昨日この文章を読んで(前にも読んでいるはずなのに...)涙しちゃいました^^;
決して"泣き"を要求するものではありません(笑)ので、
良かったらコーヒー片手にお付き合いくださいませ♪
" 正しい事を見抜く事、それを果敢に実行する事は共に困難な作業です "
こんな言葉がある医療従事者の方のブログ記事にあり、この記事UPを考えました。
◇
1964年、周囲の反対を押し切り、ある選挙に立候補した一人の医学者がいた。
「医師の本来あるべき姿、理想を示して、あとで考えてもらうことに意味があるのだ」
惨敗と知りつつ立候補することなど、物の数ではなかった。
鮮烈な理想主義者の姿である。しかも自らの掲げる理想の
実現の難しさを誰よりも熟知している。何もかも分析した上でなお、
「あるべき道」を説く機会をこの(日本医師会)会長選に求めたのだ。
- いまの日本の医療の混乱と悲劇、その根底にある原因 -
それを少しでも解決するために何をすべきか
についての考えは、その選挙直後に書かれた『日本の医療制度』と、
死の前年(1972)の国立病院療養所医学会総会の『医学の使命』に
述べられている。 (以下、一部抜粋)
◇
医療制度への挑戦
4.医療社会の限界
確かにこの制度によって、医療費の個人負担は軽減され、受診料は安易に
軽便になつていますが、医師にどの様なしわよせが来ているでせうか。
保険経済の安定が総てに優先する機構の中で、保険医はその自由も
主体性も抑圧されて、自由なる医師という観点から見れば、窒息状態に
置かれているのであります。
学問にせよ技芸にせよ、その向上発展に必須の条件は、自由と主体性で
あります。それを思へば、今の医療制度のなかで、医師の向上発展は
望むべくものもありません。沈滞あるのみであります。沈滞の続く結果として、
日本の医学が生気を失ひ、徐々に凋落して行くこと、これ以外に考へやうが
ありません。
医療保障の施策の結果が、医学その者の凋落につながるといふ予想は、
致命的であります。私は年来この事について世に警告し、いささかの運動も
行っていますが、世論は意外に冷淡であり、無理解である様に見えます。
政府当局にも、実質的な反応はまだ見えません。これが同志の人々と共に
私の最も憂へているところであります。これから各方面で、医療の社会化、
或いは組織医療の進歩することは、時の勢ひであります。その大きな組織に
巻き込まれて、個人個人の医師の姿勢は埋没する様に見えると思ひます。
併しどの様な組織医療にせよ、長い眼で見て、それが「医学的」に成功するか
否かは、そこに埋没したかに見える医師としての質に懸つている事を見失つては
ならないと思ひます。決して医師を犯してはならない。医師を殺してしまつては、
元も子もなくなる道理です。
5.結 び
私はこれまで、医師には確かに大きな社会的使命があり、この使命の自覚が
如何に大切なことかを、私見を以って述べてきました。併し、いまひとつ重要な
ことを最後に述べなければなりません。それは斯る使命は、
一方だけがいくら力んでも、それで達成し得るものではないといふことです。
そもそも使命とは、相手があつてのことであります。 この関係は最後に述べた、
医療の社会化、組織化等の限界という所で、最も明かだと思ひます。
条件が悪ければ、医師はその使命を達成し得ないばかりか、
その悪条件下に窒息し、腐敗してしまふのであります。
しかもこの条件は医師が作るものではなく、社会が作り出すもので、
医師自身は何とも仕様がないものなのです。
ここに国民医療の問題における国家・社会の側の責任ということが大きく浮かび
上がつてきます。この責任は、私見を率直に言へば、医師の側の責任と同等、
即ち両者半々の責任において、国民の医療は成り立つのだと思ひます。
然るに、この点に関する国家・社会の自覚は甚だ薄いように思はれます。
最初に述べました様に、最近の医師の質低下、医師の道義の頽廃は、強い
世上の風評であります。そしてその頽廃の原因が医師の側にだけあるやうに
考へられています。それが確かに現状であります。併しその考へは果たして
正しいか。考へなければならない点であります。
確かにわが国の医療は、いま混乱し、憂慮すべき状態にあります。併しここに
至つた原因の半分は、国家・社会の側に求められるのです。現在はこの自覚は
薄い様に見受けられますが、この自覚なくして、医師の側だけを如何に責め立て
ても、改善は望み得ないと思ひます。この点を強く訴へて、終わりと致します。
- 『私伝・吉田富三 癌細胞はこう語った』 -P218~P248より
◇
180票 対 20票
この会長選のときに、私から見たら先生の同志であるはずの人たちからも
票を得れなかったことがとても残念に思えました。
"勇気がなかっただけですか?"と、当時を知る人たちがいたら問いかけてみたい。
本の年譜を見たら1973年4月27日が他界された日でした。
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世界の片隅でコーヒーを飲みながら
ここまでお付き合いいただきありがとうございました♪
今回思うところあって、前回の映画 『ドーパミン』 でこんなものを作ってみました
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